博士の定員10倍増 博士のハイパーインフレ

恐らく世界初の「インタラクティブ理系小説」です。

西暦200X年の日本から、順次、あなたの選択により、ストーリーが先に進みます。

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I.西暦200X年ー2030年

1.西暦200X年の日本

 あなたは、科学技術を振興するための政府の審議会の委員として、博士の定員10倍増を提案しました。

 あなたの提案は受け入れられ、日本は、博士の定員を大増員する政策を打ち出しました。

 ただし、理系の地位向上は行なわれませんでした。

 博士の定員が10倍になっても、博士になりたい人は山のように現れました。

 大学院は授業料の収入で大いに潤いました。

 大学院は採算が苦しくなっていましたが、授業料を余分に3年間も払ってくれる博士課程は、ドル箱になったのです。

 博士以外のあらゆる人々が、博士の定員を増やすのに賛成しました。

 博士のインフレ策です。麻薬が最初は喜びを与えるように、日本全体が博士のインフレ策を支持していました。

 昔、世界の国々は、財政が苦しくなると通貨発行を行ないました。お金を刷れば楽になるのです。

 ハイパーインフレが生じ、そのような行為が社会にとって害になることが分かってくるまでに長い時間を費やしました。

 しかし、人類は、博士についてはその教訓を学びませんでした。

2.西暦2015年の日本

 博士はどんどん増え続けました。

 しかし、日本の大学、研究所等のポストは増設されるどころか削減されるところもあり、空きが増えませんでした。

 人気のあるアカデミックポストには、何人もの人が長い行列を作っている状態でした。

 実力があっても、たまたまポストが空かなければ、昇進できなくなっていたのです。
 
 民間も、基本発明を特許であまり保護しないため、博士の高度な研究はお金になりません。

 民間も、博士は専門性ではなく、コミュニケーション能力が大事と言うようになりました。

 博士は専門性を考慮してくれないような民間に就職するのは嫌でした。

 博士は、良い職を見つけることが困難になりました。

 政府は、民間に博士を雇うよう懸命に働きかけました。

 民間は言いました。「博士かどうかではない。コミュニケーション能力があり、会社に役に立つ人材なら博士であろうがなかろうが採用する」。

 政府は民間の抵抗にどうすることもできず、悩んだ末、博士をパートにすることを促進する政策を打ち出すという苦渋の選択をしました。

 民間は喜んで協力するようになりました。
 
 博士は、パートで働くようになりました。時給は、2000円になりました。

3.西暦2018年の日本

 博士のインフレにより、博士の地位はどんどん下がっていきました。

 しかし、過去に築き上げた博士の信用があったので、大学院の博士課程は盛況でした。

 しかし、本当に優秀な人材は、博士にならないか、博士になった後で外国に流出してしまいました。

 過去に築き上げた博士の信用という「見えない日本の資産」は着実に価値を減らしていったのです。

 それは、大学院に納付された授業料の何倍もの資産だったのです。

 そして、ある日、日本中を震撼させる事件が起きました。

 博士パートタイマー集団樹海事件です。

 その中心人物となった博士Aは、家が貧乏だったが、奨学金を借りて博士になりました。

 奨学金は、すべて有利子貸与になっていました。

 大学院の学費も高騰していました。昔のアメリカを真似し、授業料だけで年200万円以上としたのです。

 学費は年間200万円で、大学、大学院の合計9年間での借金は、生活費を入れて2500万円になりました。

 アルバイトで一部は返済したものの、まだ1500万円の借金が残っていました。

 返済が厳しくなりましたが、時給2000円で必死に働きました。

 しかし、大学、大学院で負ってしまった借金はなかなか返せません。

 夜遅くまで働きましたが借金は一向に減らず、いつまで研究できるかもわからず、将来の目途も全く立ちませんでした。

 博士Aは、同じような境遇の博士を引き連れ、パートタイマーの博士が集団で樹海へと入っていったのです。

 これが大ニュースとなりました。

 幸い、技術の進歩により樹海でも携帯電話が通じました。

 集団の一人が携帯電話で心変わりを伝えたため救出されたものの、この事件は博士の信用をがた落ちにさせました。

 大学院の博士課程の入学者がようやく「定員割れ」するようになったのです。 

 博士の信用という「見えない日本の資産」は、ようやく食いつぶされたのです。

3.西暦2023年の日本

 その頃、大学は全入となっており、理工系の学部を卒業したことはあまり評価されなくなっていました。

 理工系に進んだ以上は、修士まで行かなければ評価されなくなっていたのです。

 さらに専門的な研究には、博士にいかなければ不十分とされていました。

 しかし、博士課程も定員割れが生じていました。

 大学院の学費は、さらに高騰していました。理工系の場合、設備にお金がかかるから文系よりも大幅に高くするという決定がなされました。

 授業料だけで年300万円以上としたのです。

 大学4年と大学院5年分の学費は、2700万円になりました。

 パートタイマーの博士が返せる金額ではありません。

 大学院の博士課程は、お金持ちの家の人が、趣味で行くところとなっていました。

 大学院の修士まででも、1800万円の借金ができます。

 借金を払えない技術者、研究者が増えていきました。

4.西暦2030年の日本

 日本の科学技術立国は、崩壊しました。

 日本の理工系の博士の数は世界一になっていました。

 経済学者は、なぜ理工系の博士の数が日本一なのに、日本の科学技術が崩壊したのかについて、百家争鳴の議論をしていました。

 その原因は、まさに百人の学者がいれば、百の説があるという状況でした。

 その中で、ごく少数の人が、理系離れが問題なのではないかという説を唱えました。

 理系離れの原因を200X年に戻って検討しようという話になったのです。

II.あなたの選択

理系離れは、理工系の地位向上の問題とは関係がなく、他の原因によるものであると審議会で発言する

理系離れを解消するには、理工系の地位向上が必要であると審議会で発言する
 
この小説はフィクションであり、特定の人物、団体等との関係は全くありません。

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