地位向上への挑戦
恐らく世界初の「インタラクティブ理系小説」です。
西暦200X年の日本から、順次、あなたの選択により、ストーリーが先に進みます。
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I.西暦200X年ー2010年
1.西暦200X年の日本
あなたは、科学技術を振興するための政府の審議会の委員として理系の地位向上発言をしました。
あなたの発言は受け入れられませんでした。
理系の地位向上などとんでもないことだ、と文系の委員が言いました。
理系企業の社長は、技術者、研究者は社会的地位が低くて当たり前だといいました。
あなたは、「でも同じ理系ではないですか」といいました。
社長Aは言いました。「私は理系である。しかし、社長として倒産の憂き目に会いかけるなど修羅場をくぐってきた。技術者、研究者など何なのだ。何のリスクも背負っていないではないか。給料が安定してもらえるだけでもありがたいと思え」と言いました。
社長Bは言いました。「私はもはや理系ではない。理系出身だが理系からは足を洗ったのだ。楽しい技術開発や研究をするというメリットを捨てて、厳しい経営の道に入ったのだ。好きなことをしている技術者、研究者の社会的地位など低くて当然ではないか」と言いました。
審議会で、理系、特に技術者、研究者の地位向上に賛成する人は誰もいなかったのです。
審議会のメンバーは、各界の重鎮から選ばれていました。
現場の一線で活躍する若い技術者、研究者は、あなたしかいなかったのです。
2.西暦2010年の日本
あなたは、技術者、研究者の人の意見をインターネット上で広めていこうと考えました。
政府の重要な役職は、ほとんどが文系で占められていました。
文系も、科学技術の進歩には賛成する人が多かったのです。
しかし、多くの人は、理系の地位を低くしたまま、何とか科学技術を進歩させようと考えていました。
そのための方法は、まさに百家争鳴の状態でした。
理系の数を増やすことが計画されました。
数を増やせば、需要と供給の関係により、理系の地位、待遇は低下します。優秀な人は集まらなくなり、質が低下します。
しかし、質の低下を、数で補って科学技術を進歩させようという政策が採用されました。
これは、中国、韓国など他国の追い上げの格好の目標となりました。
技術者の数では、中国は日本より多かったのです。
しかし、中国は、先進国ほど社会環境面を含めて高い待遇を出せず、先進国に優秀な人材が流出するのが悩みでした。
しかし、日本の理系の地位が低下したため、中国は数での勝負に持ち込むことができました。
日本の技術立国は崩壊の兆しを見せていました。
日本は、数より質を重視し、知的財産を強く保護し、高付加価値な分野にシフトしなければならなかったのです。
しかし、日本は、質より数を重視しました。高度経済成長期の外国からの技術導入の時代の成功体験を忘れられなかったのです。
理工学部の卒業生は、修士卒ですら、高校の微分積分も分からないほどレベルが低下していました。
優秀な人材は、医学部を目指すのが常識化していたのです。
4.理工系.comとの出会い
その頃、あなたは、理工系.comというサイトを見つけていました。
そこには、多種多様の理系関係の情報がありました。
そして、理工系の地位向上のアイディアを次々に考えていました。
そして、理系の連帯という考え方を、理系の地位向上のために提案していました。
II.あなたの選択
理工系.comを見てみる
理系の連帯を見てみる
理系の地位向上に向けて、ホームページを作る
何もしない
この小説はフィクションであり、特定の人物、団体等との関係は全くありません。
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