理系離れの防止策

恐らく世界初の「インタラクティブ理系小説」です。

西暦200X年の日本から、順次、あなたの選択により、ストーリーが先に進みます。

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I.西暦200X年ー2030年

1.西暦200X年の日本

 あなたは、科学技術を振興するための政府の審議会の委員として、理系の地位向上は関係がなく、他の様々な問題こそが、理系離れの原因であると発言をしました。

 あなたの発言は受け入れられ、政府の公式意見となりました。

 そして、審議会の答申に基づき、日本は理系離れを防止しようとする政策を次々と打ち出しました。

 ただし、理系の地位向上はなされませんでした。

 科学技術体験ツアーが、子供たちに行なわれるようになりました。

  子供たちは、工場に行ったり、科学者の研究室に行ったりしました。

 子供の頃から、工場の現場や科学者の研究現場を見ることは、良い刺激になりました。

 科学教室も開かれました。著名な科学者が小学校を訪れて話をします。子供たちにはよい刺激になりました。 

 三つ子の魂百までと言います。子供の頃の体験は大きいものです。

 きっと、この子供たちは、理系が好きになり、理系に進学して明日の科学技術を担ってくれるでしょう。

2.西暦2012年の日本

 上記の子供たちは、科学少年、科学少女に成長しました。

 科学雑誌を読んでいます。そこには、リニアモーターカーがもうすぐ実現すると書かれていました。

 子供たちは夢を膨らませて、「将来は理系に進んで、技術者、科学者になろう」と思いました。

3.西暦2016年の日本

 上記の子供たちは、高校生になりました。

 科学以外の色々なことに興味が出てきました。少しずつ社会の仕組みも分かってきました。 

 多くの子供たちは、理系に進むのをやめました。 

 一部の子供たちは、理系に進むことを考えていました。

4.西暦2018年の日本

 上記の理系に進むことを考えていた一部の子供たちは、大学の理系コースへの進路を考えていました。

 その頃、大学全入時代が訪れていました。

 理工学部は入試がない大学もありました。理工学部ならば、誰でも大学に入れる時代になっていました。

 上記の一部の子供たちのさらに一部は、数学や理科の成績が優秀でした。

 子供たちの親は言いました。「成績が優秀で理系に進むのなら、医学部にしなさい。お父さんを見れば分かるでしょ」

 子供たちの親戚も言いました。「理学部、工学部に進んでも医者よりも社会的地位は低い。親戚としても医者の方が誇らしいよ」

 子供たちは言いました。「科学者、技術者だって、立派な研究をすれば報われるんだ」

 子供たちの親は言いました。「ノーベル賞を取るところまで行かなければなかなか報われないよ。発明をしてもいくらもらえるの。お医者さんのように地位が高くもないし、お医者さんの生涯年収を超えられる人が、何人いると思っているの」

 子供たちは言いました。「お父さん、お母さんは、お金や地位のことばかりいうけれど、そんなのいやだ。夢を実現するんだ」

 子供たちは、「夢を実現する」という純粋な気持ちから、両親の言うことが、とても醜く聞こえたのです。

 子供たちの親は真剣に考えて言いました。「何が夢なの?」

 子供たちは言いました。「リニアモーターカーを作りたいから鉄道技術者になるんだ」

 子供たちの親は、押入れを必死で探し、古い1970年代の子供向け科学雑誌を持ってきました。

 お父さん、お母さんも、1970年代の雑誌を見て、リニアモーターカーが21世紀までには実現すると考えたんだよ。

 1970年代の子供向け科学雑誌には、「リニアモーターカーは、あと10年か、遅くとも21世紀までには実現するだろう」とありました。

 子供たちは、ようやく、お父さん、お母さんのいうことと、自分のいうことのどちらが正しいのか疑問になってきました。

 しかし、子供たちは言いました。

 「とにかく技術者になりたいんだ。夢を追いたいんだ。お金や地位のことばかりいうお父さんやお母さんは嫌いだ」

 お父さん、お母さんは言いました。「おまえのことを思っていっているんだよ」

 子供たちは言いました。「医者の方が誇らしいって親戚が言ってた。親戚だって自分達の『見栄』のためなんだ。」

 お父さん、お母さんは涙を流して言いました。「そうじゃない。親戚もそういうふうには口ではいうけど、お前のことがかわいいんで言っているんだ。親は、もっとお前のことを考えているんだよ」

 子供たちは言いました。「嘘だ。本当に子供を愛していれば、子供がやりたいことに反対するわけないじゃないか」

 長い論争が続きました。お父さん、お母さんは言いました。「でも、お前がやりたいことをやることが一番大切だ。好きなようにしてよいよ。」

 ごく一部の優秀な子供たちは、親の説得を無視し、理工学部に進学することを選びました。

 大部分の子供たちは、親の説得を受け入れ、あるいは自分でもう一度よく考えなおし、あるいは先生に相談し、医学部に進学しました。
 
 その頃、理工学部の偏差値は低下し、医学部とは格差がついていました。

 大学全入時代なので、偏差値20でも理工学部には入れたのです。

 大学では、高校の数学も分からない入学生たちに手を焼いていました。

 成績が悪くて医学部にいけない子供たちが、大学全入を利用して、理工学部に入ってきたからです。

3.西暦2022年の日本

 上記ごく一部の優秀な子供たちは、大学生になりました。理工系の学問を勉強しています。

 科学技術は専門が細かく分かれていました。ごく一部の優秀な子供たちの、さらに何割かが科学技術の現状に幻滅しました。

 なお、リニアモーターカーの建設は中止となっていました。

 かなり多くの子供たちは、大学入学後に退学して就職しました。

 その頃、大学は全入となっており、理工系の場合には、学部を卒業したことはあまり評価されなくなっていました。

 学部を卒業しても、高校の数学も分からない子供たちが増えていたからです。企業はそれを知っていました。

 理工系に進んだ以上は、修士まで行かなければ評価されなくなっていたのです。

 大学院の学費も高騰していました。

 日本は、大学の経営について昔のアメリカを真似し、授業料だけで年200万円以上としたのです。

 しかし、奨学金の充実はアメリカを真似ませんでした。 

 そのため、理工系の学部を卒業するより、高校卒業ですぐ働いた方が生涯年収も高くなっていたのです。

 それでも、一部の子供たちは、科学技術が好きだったので、修士や博士になり、技術者、研究者になることにしました。

 その頃、奨学金はすべて有利子貸与となっていました。

 理工系の修士を卒業した一部の子供たちは、20歳台なのに、授業料だけで200万円×6年=1200万円もの重い借金を負うことになりました。

 しかし、その頃、技術者、研究者の年収は、中国、インドとの競争で低くなっていました。

 借金を払えない技術者、研究者が増えていったのです。

4.西暦2030年の日本

 上記の一部の子供たちは、それでも、子供の頃の楽しい思い出が忘れられず、技術者、研究者になりました。

 Aさんも、子供の頃の科学教室での思いを捨てられず、不遇と知りつつも技術者になったのです。

 会社では、役に立つ研究を技術者にさせようと必死でした。

 日本では、なぜ技術者を養成したのに、産業競争力が高まらないのかについて百家争鳴の議論が続いていました。

 Aさんは、技術者になったのは好きなことをするためだと思っていました。役に立つ研究などするものかと思っていました。

 Aさんは、社会に対する怒りを持っていました。待遇が悪いのなら、せいぜい好きな研究をしようと思っていたのです。

 Aさんは思いました。どうして日本の産業競争力のために働かなければならないんだ。日本が私に何をしてくれたというのだ。

 Aさんの上司は、経営学部を出ていましたが、Aさんに手を焼いていました。

 会社の利益になることをAさんにさせないといけないのです。成果主義が浸透し、マネジメントとしての能力が問われていました。

 Aさんの上司は、Aさんに役に立つことをさせようとし、Aさんがそれを表面上は受け入れるが、実際には拒むのに辟易していたのです。

 Aさんにノルマを課しても、出てくる発明は、くず発明ばかりでした。

 Aさんの上司は言いました。「技術者が日本の産業競争力に貢献しているなんて嘘だ。もっと物分りのいい文系の人を増やす方が会社が発展することは明らかだ。経営学部を充実させた方がよい」

 一方、科学者になったBさんも、借金の返済に負われていました。Bさんは博士に進みましたが、職は不安定でした。

 Bさんも、まもなく失業しました。そして、借金の返済に終われ、社会に対する怒りを持っていました。

 その後、短期の職を得たBさんも、すぐには役に立たないが基礎的で重要な研究をして社会に貢献するのではなく、行き止まりで将来性がなくてもとにかく就職できる研究をしようと思っていたのです。

 Bさんは論文を書いていましたが、就職をしやすいが、本当はあまり意味のない、くず論文ばかりでした。

 Bさんの研究室では、「どうやって社会に貢献しないで、楽な研究をするかが研究者冥利につきるよ」、「そうだよね。同じことを一生やってお金をもらえるといいね」という会話がなされていました。

 そのような会話は、政府の政策を左右する人には決して届かないものでした。

 西暦2030年頃、なぜ技術者、研究者を養成したのに、産業競争力が高まらないのかについて百家争鳴の議論が続いていました。

 専門の学者が色々な学説を発表していました。原因を解明した人には、ノーベル経済学賞を与えるという話まで出ていたのです。

 そして、実証的な統計データに基づき、技術者、研究者は日本の産業競争力に貢献しないので、技術者、研究者の地位を下げべきであるという学説が増えていきました。

 そして、現在は存在しないが、どこかに存在するであろう優秀な理工系の人材の卵を発掘して育てるためには、科学技術への関心を子供の頃から養うようにしなければならないという議論がなされていました。

 そのためには、200X年に戻って考える必要があるという結論が出されていました。 

II.あなたの選択

理系離れを解消するには、理工系の地位向上が必要であると審議会で発言する

博士の定員を増やせば、博士になりたがる人はいくらでもいるので理系離れなど問題にはならないのであって、理工系の博士の定員を倍増すれば、科学技術は振興されると審議会で発言する
 
この小説はフィクションであり、特定の人物、団体等との関係は全くありません。

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